勾玉(まがたま~たまゆら~たますりべ)魅力の尽きない宝物

縄文時代中期(約5,000年前)古墳時代(約1,500年前)の遺跡や古墳から数多く発見され、北海道から沖縄に至る日本各地から発見されている「勾玉」、語源は曲がった玉「曲玉」が転じたとの説もあるようです。

ところで勾玉の「勾」は以外にも普段の生活の中で馴染みのあるフレーズなのですが、見覚えありませんか?

におう!?似ていますがにおうの漢字は勹(つつみがまえ)の中がㇺではなくヒ「匂う」のため不正解です。
正解は坂などの傾斜角に用いる「勾配」です。曲がるの意味を持つ勾、よりも玉が断然、要なのです。
形に関しても出雲型、大和型と呼ばれる物も含め明確な定義はないようでモチーフさえ判明していませんが、勾玉の前身はもともと球体で後に加工に手間をかけるほど価値も上がり、今のカタチにたどり着いたのかもしれません。


形や大きさ、材質、そして用途さえ何の定義もなく謎だらけなのですが、皇室に伝わる鏡と剣と玉のいわゆる三種の神器の一つでもあり、日本書紀や古事記にも明記されている由緒正しいお宝なのは間違いないようです。

有力な説として、古代〈古墳時代〜飛鳥〜平安中期〉の社会構造、氏姓制度〜律令国家による部民に分類された玉造部(たまつくりべ)または(たますりべ)は勾玉などの玉類制作に従事した職業部であり、現代の伝統工芸士のような役割を果たし河内、大和、武蔵、下総、陸奥、常陸、摂津、近江、周防、讃岐、出雲など全国に分布されていた歴史があり、管玉・平玉・勾玉等を各地で量産していたようです。

三種の神器の一つである「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)を製造した地とされるのが温泉でも有名な島根県松江町玉湯町玉造(旧出雲国)です。縁結びでも知られる大国主命を祀る出雲大社(いづもおおやしろ)から約35㎞で一時間圏内の場所に位置し、勾玉の材質に適している良質のメノウが採掘できる地でもあり、玉造部に関わる人々も多かったようです。玉造温泉は山陰屈指の名湯で、一度入ると容姿端麗になり、再び入ると万病が治ると「出雲国風土記」に綴られており、美人の湯、神の湯との呼び名もあります。幸いにも何度か温泉に浸かる機会があり、実際に入浴した感想は少しトロみのあるような肌にやさしい泉質が実感できます。湯けむり温泉街という情緒は皆無ですが、玉湯川沿いに和風の宿が立ち並び、各宿敷地内に日本庭園を設け和を寛ぐ志向の純和風旅館メインの温泉宿で、出雲大社の歴史と並ぶ開湯1300年の歴史があり、温泉街の玉湯川に架かる勾玉橋の欄干にはにはシンボルでもある巨大勾玉をはじめ、燈籠、マンホールなど各所に勾玉を感じることが出来ます。

「たまゆら」(玉響)という言葉を知っていますか?聞いたことはあっても意味までは知らない方が多いのではないでしょうか?

一説には勾玉が触れ合うかすかな音とも伝わっています。ガラス細工の風鈴の音色ならイメージできますが、碁石がぶつかるような音しか想像できませんよね?

たまゆらの如く、謎だらけの不思議なお宝「勾玉」の魅力はつきません。

我が茨城県にも玉造伝説あり

玉造温泉のみならず、勾玉を造っていた「玉造部」の歴史、また勾玉が多く出土されている地は全国に分布されていて、中には出雲の玉造(元は玉作)と同じ地名が近年まで、或いは現存しており、大阪市中央区玉造、宮城県玉造郡(現大崎市の一部)、熊谷市玉作、そしてなんと茨城県内にも旧玉造町(現行方市)がありました。

旧玉造町もまた、村の統合により名付けられた町名ではありますが、実は前途の玉造部が置かれていた歴史があります。また、ヤマトタケルが旧玉造町(井上付近)に現存する「玉清井」と呼ばれる泉に勾玉を落とした。との民話が「常陸風土記」に残されるなどの由縁があります。

そして、旧玉造に隣接していた常陸国行方郡玉作村→玉余村・玉川村→玉里村→現小美玉市と地名に現在でも玉が残り、一定の証となるか、周辺には判明しているだけでも八つの古墳が現存しているのです。その中でも国道355号沿いで走行車中からもはっきり確認できる全長85メートルの前方後円墳「三昧塚古墳」は今でも管理が行き届き、副葬品には冠や剣、はにわ、そして玉類も発掘されている歴史があるのです。茨城県内にも古代の勾玉に関わりのある地や品もあり身近に感じ取れるような気もしますが、調べれば調べるほど「勾玉」は奥が深く、謎も深まるばかりです。

しかし、古代より祭祀へのお供物、献上品、装飾品、副葬品として権力の象徴(ステータスシンボル)の用途があり、材質はより稀少で貴重な翡翠(ヒスイ)瑪瑙(メノウ)が価値があったことは間違いありません。

勾玉に似ているもの

日本特有の勾玉と伝わっていますが実は古代の交流で伝播したのか朝鮮半島でも発見されています。他にもメキシコの遺跡の出土品に勾玉によく似た形のものが発見されたとの学説もあるようです。また台湾の龍山寺などほとんどのお寺に備わる運試しのおみくじのような 擲筊あるいは跋杯(ベイジャオ)(ポエ)と呼ばれる赤い木片も勾玉を左右対称に切ったような形状です。他にも、日本の文様の一つで、太鼓や瓦、神紋・寺紋にも使用されている「巴紋」、もまた勾玉をモチーフにしたとの一説があります。また、関連性は薄いようですが勾玉に限りなく類似し興味深いのが白と黒の陰陽マークで馴染みのある「太極図」(たいきょくず)は陰陽五行や風水にも登場する東洋哲学思想で、中国文化圏で広く周知され、日本でも誰もが意味は知らずとも見たことはあるマークではないでしょうか。個人的には太極図で連想するのは中国は重慶の鍋料理で、とにかく辛い四川料理の代表格の一つ「重慶火鍋」日本人でも食べれるように辛さは控えめらしいのですが・・・内陸に位置する重慶の夏は暑さで雀が屋根から落ちてくると形容されるほど暑い街なのですが、冬だけではなく暑い夏でも市民は熱くて辛い火鍋を食べるのだとか、、、その理由として、鍋なら必然的に冬にカラダを暖めることが可能だが、暑い夏に辛い鍋をなどを食べることによりカラダが辛さを暑さと錯覚して発汗作用し汗をかくことで結果クールダウンに繋がることを中国の先人は知っていたからだ!と現地のガイドさんから聞いたことがあります。

辛い記憶もガイドさんの力説も手伝い、独特の勾玉に酷似した鍋の形状に強い印象が残っているのですで。「太極図」についての意味は諸説ありますが、白は陽、光、表、男、火、動を表し、黒はその対極で陰、裏、女、水、静を表し、万物の生成や成立ちには必要不可欠なものであり、対極している点は白にも黒があり、また黒にも白があり転じる意味も含んでいるようです。

※韓国の国旗などにも太極図らしい模様が記されていますが、中国文化圏の太極図とは無関係だと言い切っています。

勾玉の形の由来には、胎児の形や魂の形、動物の牙など諸説ありますが、類似している物はあれど宇宙の根源である太陽や月などの融合を鑑みると勾玉のような形に行き着くのが自然なのかも知れません。

▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

勾玉(まがたま~たまゆら~たますりべ)魅力の尽きない宝物

知っておくべき終活情報

ここにあります  ▶  ▶  ▶

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

こな雪浄土サービス

代表   小池 伸一

お問い合わせは、下記のURLよりお願いいたします

https://www.konayuki-jodo.com/

Email:info@konayuki-jodo.com

TEL:090-3201-8757

(営)9:00~19:00 ※ 木曜休日

〒316-0023

茨城県日立市東大沼町3-32-25 2F

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━