手水舎と龍の謎①

手水舎と龍の謎①

手水舎(ちょうずや)
言わずと知れた神社仏閣の敷地内、参道脇にある手や口を清める場所(建物)を指しますが、ちょうずしゃ、てみずしゃ、てみずや等など、呼び名は様々で特定の決まりはないようです。
呼び方には地域差があるのかも知れませんが、南東北地方に位置する我らが茨城県では「ちょうずや」がしっくり来ますよね!?
しかし、手水舎と書いて「ちょうずや」とは普通に読めないですよね?
これは、あて字に近い「熟字訓」(熟語、すなわち二文字以上の活字に訓読みを当てたもの)であり、例えば小豆あずき、数玉−じゅず、景色−けしき、五月雨−さみだれ、迷子−まいご、等などと同類で、活字を分解し訓読みにしても意味が伝わる日本語である定義の読み方が同じく用いられているようです。
(因みに分解して全く意味がない、通じない日本語を「あて字」と呼ぶらしい。)

手水の歴史

手水の起源とされている一説には神聖な地を踏む前に河川などで身を清める、いわゆる「禊」(みそぎ)だとする説が有力と思われます。
その理由の一つに、伊勢神宮の入口にある大鳥居と、神聖な地への架け橋である宇治橋はTVの旅番組でも馴染み深いと思いますが、鳥居をくぐり、眼下を流れる五十鈴川に架かる宇治橋を渡ると右手に河川敷が見渡せるのですが、古来この場所で身を清める禊を済ませて宮を参拝していた、と訪れた際にガイドさんに教えてもらった事があるのです。
(ガッテン2!)ふむフム!
余談ですが、群馬県高崎に鎮座する白衣観音像のモデルとされ、必殺仕事人(痛快アクション時代劇?)に着物を着て三味線のバチや弦を武器に悪を成敗する女ボス?役を演じた山田五十鈴さんの本姓が現伊勢市の旧名宇治山田市と通ずる山田、芸名の名、五十鈴が前述の禊の場であったとされる河川名が五十鈴川が由来なのだとか。(これもまた、同じガイドさん情報) ※ツアコン時代に自然と備わった裏付けのない雑学から・・・・

手水舎の歴史

先ずは、手水舎の定義、何を指してそう呼ぶのかを整理します。
手水は前途の通り儀礼などの動作が由来する。
手水舎の「舎」は屋舎(建物)と解釈するのが最も自然で、水を溜める場所を風雨から守る建物を指し、手水舎を(ちょうずや)と呼ぶ語源には手水屋舎(屋)からとも推測できる。
手水の歴史は起源でも述べた通り、伊勢神宮の1300年以上ある歴史以前かも知れません。
しかし、手水舎となると歴史は新しく、重要文化財である日光東照宮の御水屋が最古との説がありますが、手水(儀礼などの動作)であり手水舎(建物)の歴史となると劣化消滅してしまうので、明確な起源は不明なのです。
<お国からも保護され現存する 最も重厚な東照宮の手水舎(御水屋)>
古来より、手水(禊)の礼儀があり、時代とともに簡素化され雨風を凌ぐための建屋、それが手水舎ではないかと考えられます。
憶測の域ですが、日本人は手を洗う習慣が知らずにDNAの一つとして組み込まれいる。
神社仏閣以外の場所、例えば日本家屋の玄関先などに設ける蹲(つくばい)には結界の意味があり、手を清め洗うため石をくり抜いた手水場所や大きめの桶を置き雨水を溜め、現代のようにひしゃくなど用いず直接、手で水を汲み手を洗う習慣。手水とは古式ゆかしいもの以外にも知らずと根づいた生活習慣文化こそが起源ではないか、そして手で水を汲む(手水)が語源の可能性もアリな気がします。

手水の作法

先ずは一礼、次に右手で柄杓を持ち・・・などバラエティ番組や、ポータルサイト等で大層らしく手水についての作法がクローズアップされている昨今ですが、手水舎の起源すら漠然としてますので、由来正しい所作自体が不確かで「あと付け」感は否めません。
御朱印帳ブームや、バズっているパワースポットだけ力を貰いに行く、ご利益目当の願い事オンパレードなど、参拝のマナーが低下している事からのマナー向上啓発なのかも知れませんね(^^)。
順序などより、敬い、感謝の気持ちを持つ心のマナーが大切なのではないでしょうか。

手水舎と龍の謎②に続く