手元供養(自宅供養)パーソナル供養

いつでもずっとそばに・・・
お墓やお位牌よりももっと身近に感じられる「心のよりどころ」それが手元供養です。

画像は お出かけの際にも持ち運び可能な最新の「ミニ骨壺」です。

「手元供養」とは!?
手元供養とは明確な定義がないため一括にはできませんが、故人に対する心のよりどころを元来のお墓やお位牌、仏壇に代わる新たな供養方法で、その種類はミニ骨ツボ、位牌ペンダント等など多岐にわたります。

諸事情によりお墓を造らず、骨壷のまま自宅で供養する(自宅供養)方法も手元供養の一つ、海洋散骨や樹木葬を選択、またお墓があり納骨をするが尚かつ遺骨の一部などを身の回りに置いて心のよりどころにするケースなどもあります。

手元供養は法的には合法なの!?

昭和23年に制定(改定)された墓地、埋葬等に関する法律(墓埋法)では手元供養や海洋散骨など戦後間もない当時の日本では想定もされておらず、最も近いとするのであれば「埋葬または焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行ってはならない」であり、要約するとお墓以外にお遺骨を埋めちゃだめよ!となり埋葬(埋蔵)埋めなければ法に抵触せず、手元供養は現法律により違法ではありません。

意外にもご自宅に骨壷を保管(手元供養)している方は多い!?

ご自宅で骨壷を保管しているデータなど存在しないため実数はわかりませんが、粉骨パウダーサービスを扱い始め約7年経過し、多くの粉骨の依頼やご相談を承りましたが、意外にもご自宅で骨壷を保管なされている方も少なくはありません。

その理由は明確ではなく其々の事情としか言えませんが、きっと墓地にお墓を造れば敷地、墓石代など含めると100万円以上の高額出費が予測される、お寺の永代供養もあるが安価ではないなどの金銭的事情や、実際に探せば低額で何年も預かってくれるお寺や費用負担を抑えることのできる永代供養墓や合祀墓も存在するのだが例えばインターネットなど気軽にできない高齢者であったり、新しい情報入手が困難、また抵抗がある等の理由が推測されます。

ご自宅で骨壷を保管することは違法ではなく、ご当家が判断されれば何の問題もありませんが、客間などで他人にも目につく場所に保管した場合、例え親類であっても違和感や戸惑いを抱くことは否めません。
また、今は良くても将来的に遺骨をどうするのかを考えておくことが大事で、保管者に万が一のことがあれば当該行政にもよりますが将来的には無縁遺骨、無縁仏となるのはやむを得ませんのでオススメ奨励できる手元供養とは言えません。

水戸市や日立市など行政機関でも時代背景を鑑み、やっと低価格の永代供養墓(合祀墓)や納骨堂を既存の公営霊園などに建造する予定だけはあるようですのでお遺骨を抱え将来的に不安を抱える方々には解決策の一つであると考えます。

形見
時代劇のワンシーンでおっかさんのかんざしを形見として着物の懐に忍ばせ大切にしていたり、戦争映画では戦死した兵隊の遺髪を形見として持ち帰る、また「形見分け」など形見文化は今でも残っています。

形見は故人が生前大切に保管していた着物だったりバッグや財布など様々です。
手元供養の場合は、主に遺骨が対象となりますが、遺骨以外にも形見でいう遺髪や物によリますが遺品も現代の手元供養の対象となるのではないかと思います。
形見文化とは今の手元供養の原点なのかも知れません。

記憶に新しい東日本大震災では15,000人以上の犠牲者、そして今なお2,500人以上の犠牲者が行方不明者となり、住居まで流され遺骨どころか形見すら残らないとても悲しいケースもあるのです。
その場合、唯一の形見は関係者から受け取った故人が写る泥だらけの写真だったり、それすらない場合は海岸の砂や貝殻、そして想い出のみで記憶だけが形見なのです。

手元供養や形見は必ずしもお遺骨でなくてはならないワケではありません。戦争や災害により近親者のお遺骨が無いケースや遺骨は供養の対象物ではない、との考え方も存在しますが、お遺骨の一部を小さな容器に入れたり、ペンダントの中に収め「心のよりどころ」「お守り」「形見」とする供養方法はこれからもっと周知され、時代のニーズに合った供養方法となるかも知れません。

実は世界的、宗教的にみても遺骨への執着は殆どなく、日本人のお遺骨に対する執着心は特別なのです。

感染症はとてつもないスピードで拡大し、全く収束の気配すら皆無で、急激に悪化して残念ながら回復せず亡くなられるケースが増えてきました。看病することも最後を看取る事も お遺骨を拾いお別れすることもできない。 残されたご遺族にとっても返されたお遺骨は特別なのではないでしょうか。

昨年、ジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川氏が亡くなり、TVのインタビューで中井君がジャニーさんの遺骨の入った小瓶を見せた事も記憶に新しいニュースですが、その後の世論の反発や違和感が報じられることは皆無でした。お遺骨への愛着や執着心は宗教や常識を超えて日本人の歴史、そしてDNAの一つなのかも知れません。