一蓮托生(仏教と蓮の関係)

一蓮托生(いちれんたくしょう)は比較的 耳慣れた四字熟語ですが、詳しい意味をご存知ですか?

「一蓮托生」の捉え方はあまり良い意味ではない、むしろ諸悪的な意味だと信じていました。

俺とお前は同罪だ! 共犯者、、同じ穴の狢的な、、、

あまり勉強もせず、テレビの見すぎでしょうか!?

一蓮托生

「一蓮」は一つのハスの花(蓮華)、「托生」は拠り所や、身を託す意で仏教に於いて、同じ蓮の上に身を託して生まれ変わることを言います。

蓮と睡蓮

蓮と睡蓮は見た目も特徴も類似していますが、学術的にも全く別物で原産地も異なります。

蓮も睡蓮も沼地などの湿地帯に咲きますが、茎が水面より伸びて高い場所で咲き、やがて花弁が散るのが蓮。

一方、水面近くで咲き、やがて花弁が閉じて沈むのが睡蓮で蓮の花と比べると比較的小さい。

レンゲ

蓮華で連想するのが中華屋さんでチャーハンやスープを掬う陶器などのレンゲ。チャーハンにしてもスープにしても残り少なくなると掬うのに一苦労しちゃいますよね〜。

それにお姫様カットを彷彿とさせる独特のストッパーが付いてない散蓮華は油断するとラーメンスープの中に沈んでしまい残念な気持ちにさせてくれる憎いヤツとも言えますよね〜。

あのレンゲの正式名称は散蓮華(ちりれんげ)、散った蓮華一枚の花びらに似ていることが由来らしいのですが本家本元の中国や東南アジア諸国では蓮華に因んだ呼び名は皆無で中国仏教とも無関係のようで日本特有のネーミングらしいです。

仏教と蓮の関係

蓮の上に仏様が鎮座する光景をよく目にしますが、仏教と蓮の関連性の謎を辿ると、一つには仏教発祥の地インドは蓮の原産地という説が有力で、日本でいう桜のように親しみがある花であることが考えられます。また、古代インドに根づいていた信仰(ヒンデゥーなど)でも蓮は聖なる花とされ、神話や聖典にも多く登場し、後の仏教に影響を与えたと考えられるのです。

日本国内の仏教でも、解釈や捉え方の違いはあれど蓮華は仏教のシンボルと言えます。

南無妙法蓮華経「ナンミョーホーレンゲーキョー」読経などでよく耳にしますが、活字にするとハッキリと蓮華が含まれていますよね〜。妙法蓮華経(法華経)は日蓮宗の経の一つで、清浄な花「蓮華」を表すとされ、多くの宗派の題目として唱えられています。

蓮華の五徳

1淤泥不染の徳

泥の中で育つ蓮だが、決して泥に染まらずキレイな花が咲かせる。

2一茎一花の得

蓮の花は一つの茎から一つの花を咲かせます。人もまた一人ひとり唯一無二、自分自身をしっかり持つ。

3花果同時の得

蓮は一度に咲き、それと同時に実を付ける。

4一花多果の得

蓮は一つの花に沢山の実を付ける。

5中虚外直の得

蓮の茎はいくつかの空洞があり弱々しいがしっかり逞しく育つ。

このように仏教では蓮華の五つの特徴が真実の信心の特徴を表しています。また、一説には浄土真宗の開祖とされる親鸞聖人の書物「教行信証」にて経典「維摩経」から1の淤泥不染の徳(おでいふぜんなのとく)等「蓮華の五徳」を引用したとされています。

浄土真宗の開祖

比叡山延暦寺(天台宗)にて20年程の修行と学問を積んだ後、さらに高みをめざし法然上人を生涯の師と仰ぎ歩まれ他宗の反発や朝廷の弾圧にて流罪となるなど紆余曲折がありましたか、後に関東地方で長く布教に専念されたと伝わります。中でも県民には馴染み深い笠間(稲田)に身を置き書物を書きすすめ、その後も念仏の教えを生涯続けられたとされています。茨城県の笠間でも永く布教に励まれた親鸞聖人。茨城県人にとっても誇らしいやら親近感さえ覚えますよね〜、、、。

このように蓮の花(蓮華)は仏教と深く関わり、蓮の花が咲く如く悟りを開く意なのかも知れませんね、、、。