漂流遺骨

今年開催される予定だった東京オリンピック、そのメイン会場である新国立競技場が完成する直前の謎の大量遺骨発見のニュースは記憶に新しく、遺骨の数の多さには事件性も過るほどの衝撃を受けましたよね!?

実は都市開発が進むとともに大量の遺骨が見つかるケースは少なくはないようです。💀

《新国立競技場》
2019年1月報道
調査の結果、187体分の遺骨は江戸時代中期より大正時代初期にお寺があり、埋葬された遺骨だとの報告ですが、発見されたのは2013年〜2015年の調査で既に判明していたにも関わらず何故、競技場が完成する昨年の11月に発表したのか謎が残ります。
また、オリンピックに向けた大規模開発工事により、他の工事現場からも1,000体近くの人骨が発見されたそうです。
憶測と前置きしますが、100体以上埋葬可能で約200年続いた寺、しかも大正時代初期にも埋葬されていた可能性がある大きな寺墓地跡地であればある意味想定内だったに違いないと思います。

《JR大阪駅再開発地域》
2020年8月報道
大阪駅北側の再開発地区で1500体以上の人骨が見つかり調査の結果、江戸時代から明治の初期この地にあった梅田墓という名の当時の庶民が眠る代表的な墓地で、明治初期に開発のため移転したとのこと。

《東京・一般住宅の敷地内》
2019年2月報道
2018年、この家の住民(男性)が病死で亡くなっているのが見つかり、敷地内に500人分の遺骨も発見された。この家では代々、骨格標本業を営んでおり、先代がインドから輸入した遺骨なのだとか、、、

《新宿・陸軍軍医学校跡地》
1989年7月報道
現在の国立感染症研究所敷地内で日本人を含むアジア系人種100体以上の遺骨が見つかる。かつて旧帝国陸軍の軍医学校があった場所であることから石井四郎中将率いる731部隊の生体実験の犠牲者ではないかとの疑念もあり、中には縦断痕、切断傷がある遺骨も発見されている。市民団体が政府に対し徹底調査を要求するなどしているが真相は明らかになっていない。
《鎌倉・由比ヶ浜》
2006年報告
公園地下駐車場建設計画のため1997年までの発掘調査で約4000体の人骨が見つかり鎌倉時代〜江戸時代にかけての墓地があったとされ、中には病気や災害被害者も多く含まれるとのこと。また鎌倉には他にも集団墓地(遺構)が多数あるという。
同じく鎌倉・材木座の過去の発掘調査では900体以上の遺骨が見つかったが、人骨の多くに刀傷があり、調査の結果 鎌倉幕府滅亡に至る元弘の乱に所以があるようです。

過去を振り返れば争い事や天災は幾度も繰り返され、このように未だ発見されず漂流する遺骨は他にも数多い事が予想されます。
また、日本のみならず世界に目を向ければケタ違いの数の漂流遺骨が確認されています。
その国外で実際にこの目で見た漂流遺骨は酷すぎる光景でした。

《カンボジア・プノンペン》
1975〜1979年
クメールルージュの悪夢

中国は毛沢東の文化大革命に影響を受けたか、騙せれたか、洗脳され当時のカンボジアを歪んだ方向に推し進めたポル・ポト政権は結果的に約4年の間に医者、教師、技術者のインテリ階級を中心に人口の4分の1にあたる約200万人が反政府勢力と決めつけられ拷問、惨殺処刑された。
複数あった収容所の中でも極めて残虐殺戮が繰り返され最も犠牲者が多いトゥール・スレン(かつての小学校)は惨事の記録を後世に残すため「惨殺博物館」として今も見学可能です。
博物館には収容された部屋や拷問に使われた道具、処刑されてしまった犠牲者の顔写真、そして多数の頭蓋骨、現在は酷すぎるとの理由で展示していないようですが壁一面にカンボジアの国を型どった地図、その地図を形成するのは無数の頭蓋骨でとても衝撃的で言葉になりませんでした。アジアのアウシュヴィッツと断言できる負の遺産でしかありません。

そして、忘れてはならない昭和最大の日本の過ち「15年戦争」(第二次・太平洋・大東亜戦争)の戦没者約125万体が東南アジア、南太平洋、旧ソ連などに今も漂流しているのです、、、。