永代供養墓・納骨堂の歴史

成就院永代供養墓(水戸市大串町)の施工工事が昨年の2017年に完成、今年2018年より設計・施工のみならず、ご縁があり運営管理にも一部携わることとなったため、「永代供養墓の歴史」についてまとめてみました。

【永代供養墓の歴史】

「一隅を照らす」
かの有名な伝教大師最澄が開山したとされる天台宗総本山の比叡山、あの信長が焼き討ちをかけた事でも有名な比叡山延暦寺に今から約30年ほど前に最初の永代供養墓が建立されましたが納骨堂と区別した場合、納骨堂の歴史はさらに遡り奈良時代に霊廟、祖廟として複数の遺骨を祀った歴史があります。

2000年に入ると2025年問題後期高齢化が危ぶまれ少子高齢化問題が現実化し、墓地埋葬法(墓埋法)の規制緩和、インターネットの普及もあり、一気に永代供養が一般に周知され需要は拡大していきました。

普及過程では永代供養=無縁墓と混同される方もいましたが、例えお墓を作ってもお墓を管理する子孫がいない、または子孫はいるが跡継ぎがいないなど時代のニーズにマッチングし現代では永代供養墓の認識は確立されつつあります。

今から7年ほど前の2011年、神戸で開催された石材展示会「JAPAN石フェスinKOBE」に業務視察で訪れ印象的だったことは、今までの石材展示会は庵治石、大島石などの国産特級銘石で作り上げた石塔展示がメインでしたが、展示会場中央の大手石材卸メーカーの展示ブースには巨大な永代供養墓がドーンと一基のみ展示されていた事です。
これは石材卸メーカーがお墓ブームに乗り石塔用の石材を大量に販売する時代にもかぎりが見え始め、永代供養墓が脚光を浴びる時代が到来する!と読んでのことだと言えそうです。

個人のお墓にせよ永代供養墓にせよ納骨スペースは限られていますので果たして骨壷を大切に保管しても誰もが疑問に思う「いつかは土に還る」と誰から教わったわけでもなく信じ込んでいる自然回帰思想は骨壷の中のままでは物理的にも不可能なため、納骨、埋葬など葬送方法も時代とともに多様化し、そのような自然回帰思想のもと、海洋散骨や樹木葬などの選択肢を選ぶニーズも永代供養墓と同様に増えているのです。

余談ですが、とある御住職が、火葬骨はご供養の対象物ではなく粗大ゴミなのです。と言いきった話を思い出しましたが、否定も肯定もしませんが戦後70年以上経っても激戦地であった南方ヘ慰霊とともに戦没者のお遺骨収拾が今でも続けられているのですから南方ヘ70年以上前の粗大ゴミを探しに行ってる等と発言したらそれは不謹慎な話ですよね〜。

あくまでも個人的意見ですが、一般的にご先祖さまの記憶とは系図で云えば三親等、つまり祖父母までで高祖父母の存在の記憶はほぼないのではないかと思います。

であるならお墓を守る当事者(墓守り)からみて祖父母までのお遺骨や骨壷の中でも良いですがそれ以前のご先祖さまのお遺骨は骨壷から出してそろそろ土に還してあげる方法もアリだと思いませんか?

最終的にはご供養ごと(お墓・埋葬・納骨)は当事者である身内でしっかりと話し合いを重ね葬送方法を導ければそれに越したことはないはずですし、例えばお身内の中でも話がまとまらない・結論がでないのであれば何も急ぐ必要は全くありません、一時的に火葬骨をご自宅に保管しゆっくり先のことを考える事が大切だと私は思います。