黄色の彼岸花(鍾馗水仙)
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黄色の彼岸花
毎年、秋のお彼岸時期になると実家の庭先に二輪の黄色の彼岸花が突如として花を咲かせます。
黄色の彼岸花でネット検索するとショウキラン(ショウキズイセン)??らしいのですが、検索画像と比較すると似てはいるけど違う花のような気もします。??一説には代表的な深紅の彼岸花と黄色のショウキランの混雑種なのだとか。
いずれにせよ彼岸花(学名リコリスラジアータ)の科目や類似したヒガンバナ、品種改良された観賞用の彼岸花をも含めると赤の他に黄色、白、ピンク、オレンジ色など様々な色の彼岸花が存在するようですね~。
彼岸花は不吉な花!?
真紅の花びらが放射状に咲き、原色鮮やかな彼岸花は欧州で人気の高い植物ですが日本では特にご年配の方は縁起が悪い、毒々しいと忌み嫌われ、残念ながら敬遠される花の一つかも知れません。実家にはご紹介した黄色の彼岸花が咲くものの、「愛でる花ではない!」と近年ヒガンバナの群生地として脚光を浴びる観光地に両親が足を運ぶことは皆無です。
彼岸花が好かれなかった大きな理由には彼岸花には毒があり、 (全草)葉も根も花茎も花も鱗茎、特に球根に多くの毒性が蓄積され有毒性のある花なのです。
また、死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、狐花などの別名があることから先人は子供が近寄らないように 「毒がある故触れてはならぬ」、「持って帰ると火事になる」、「死人が出る」などと言い聞かせ、迷信化していったことが要因とも考えられます。
人気上昇の彼岸花
近年では彼岸花の群生地も脚光を浴び、秋の彼岸時期には人気の観光スポットとしてにぎわう傾向があり、近県では埼玉の巾着田や栃木の簑沢彼岸花公園、そして茨城県内でも常総市の弘経寺、下妻の小貝川ふれあい公園(超穴場でオススメ)、行方市の西連寺、大子町の茶の里公園などでも観れますが、特に常陸太田市新宿の源氏川沿い(誉田公民館付近)の彼岸花の群生は圧巻ですよ~晴天の青空と赤い彼岸花、そして田園地帯の原風景のコントラストの好条件が揃えば映える写真を撮影できる可能性大です。
なぜ秋のお彼岸の時期に合わせてさくのでしょう!?
お彼岸時期には彼岸花、約ひと月前のお盆時期には同じヒガンバナ科(ユリ目)に属する花がオレンジ色のキツネノカミソリが群生し、どちらもご供養ごと、死人との関連を疑いがちですが関係は単なる偶然の産物で当然の事ですが彼岸花に限らず桜や梅、向日葵やコスモスも異常気象をのぞき同じ時期に咲く習性があり、個体のDNAなのでしょう。なので残暑が続きいつまでも暑ければお彼岸後に咲くこともありうる現象なのです。
その根拠に、桜や梅などの開花前線は列島を南から北へと北上しますが彼岸花の開花前線は北から南に南下して咲く習性があり、現に関東平野より早く涼しくなる山あい(那須高原)にて8月終わりの頃、田畑の淵に彼岸花が咲く姿を目撃したことがあります。
また、 多くの植物は春先に芽を出し、夏の暑い時期に葉を繁らせ、秋に枯れますが彼岸花はそれとは逆に、寒い時期に繁り春先に枯れてしまい 、秋が近づくまで地表には何も生えません、そして秋のお彼岸の季節に田んぼのあぜ道や土手で突如として群生することから「幽霊花」の異名がついたのかも知れません 。
ちなみに、黄色の彼岸花はヒガンバナ科ヒガンバナ属(リコリス属)学名がリコリス・オーレアらしく、同一の花なのか判断できませんが呼び名は黄花彼岸花、鍾馗蘭、鍾馗水仙などの呼び方があり、鍾馗(ショウキ)とは中国の唐の時代に皇帝の病を封じた鬼と伝わり、鍾馗さまとして魔除け疫病除けとしてアジア圏に広まり、掛け軸や鍾馗像を屋根の上にお祀りしたり、江戸時代には縁起物として五月人形で飾られ、青森のねぷた祭りでもモチーフとされたこともあります。とてもタイムリーですよね~、、、