日本人の宗教観ってヘン!?

クリスマスを祝った翌週の年明けには神社へ初詣、チャペルで挙式を挙げて家を建てる前には神職を呼び地鎮祭、同じお部屋のお仏壇と神棚に手を合わせ、子どもが生まれればお宮参り、そしてお葬式にはお坊さんを呼ぶ。

 

多くの日本人のごくフツーのライフスタイルですが、外国人から見ると日本人の宗教観はとても理解できるものではないらしい。

 

例えば誰もが知る七福神、大半の日本人は宝船に福の神がラッキーな7人も揃い福をもたらす超縁起物として親しまれていますが・・・

実は七福神は多国籍在日ユニットで出身も信仰も異なり、仏教・ヒンズーのインドからは「毘沙門天」「弁財天」「大黒天」道教の中国からは「布袋様」「寿老人」「福禄寿」(寿老人と福禄寿は同一人物説あり)そして日本からは「恵比寿様」達が集結しているのです。

 

宝船に異国からわざわざ米俵や金銀財宝などの福を積んでジパングにやってきたイメージですが、恵比寿様の出身が日本であるなら埠頭でお出迎えするのでは?との疑問もありますが異人だろうが信仰が異なろうが、そんな事を気にする日本人は皆無で、それを知っても学校で習ったインダス・黄河(長江流域)文明方面から日本より優れた文化と幸をもたらしてくれるに違いないと都合よく解釈する寛容な国民なのです。

 

では日本人の大半は決まった信仰を持たず、どんな信仰も拒まない無神論者(無宗教)なのだろうか?

 

絶体絶命大ピンチの場面で思わず「神様、仏様、ご先祖様どうかお救いくださいませ!」と天を仰ぎ手を合わせてしまう習性はいったいどこから来たのだろうか?

 

島国列島ジパング

 

日本はほとんどが四方を海に囲まれ陸地には高い山が存在する地形で生活し文化を育んできた歴史があり、四つの季節と自然の恩恵に恵まれてはいますが、その反面では自然が猛威を振るい生命をも脅かす自然災害にも悩まされ続けてきました。

 

農耕民族であった多くの日本人にとって大自然こそが神様であり、五穀豊穣を祈る対象が雨の恵みをもたらす天であったり大地、空、山、川、海、太陽、風、雨など森羅万象を神格化し祈り、また日照不足、長雨、猛暑、冷夏、洪水など自然災害を起こすのも荒ぶる神様の仕業として手を合わせて神の怒りを鎮める。

 

日本各地で開かれる祭(祀り)も五穀豊穣の祈りと豊作を感謝を表したものが多く、また山の麓や集落の中心に神を祀る祠を設け御供えや手を合わせてきたことが現在の神社のルーツとなり、現存する神社はコンビニの数をはるかに上回っているのです。

神社仏閣などの境内でよく見かける巨木や巨岩などに注連縄が飾られ祀られているケースが多くあるが、元来 神社仏閣に植樹したり大きな岩を運んできたというよりも、元々あった場所に人が祀りはじめ、祀りやすくするために道が開け境界(鳥居)などを作った事が神社などの起源であると考えた方が自然ではないだろうか。

日本人が長い年月を経て培ってきた信仰心とは後の偶像崇拝の歴史以前に万物に感謝する心であり、その心が今日まで受け継がれる日本人のDNAに違いありません。

 

神仏習合

自然など万物に感謝し手を合わせることから始まった古神道が後の仏教と融合した歴史を神仏習合と呼ぶが、何にでも手を合わせ感謝する心を持ち合わせていた日本人にとって別段の抵抗もなく仏教を受け入れたことも自然な摂理なのだろう。