木製のお墓(木碑・墓標)

今でも時折お墓で見かける「木碑」もくひ(ぼくひ)と呼ばれる木製のお墓。

今なお現存している木碑(木製のお墓)はほとんどが書いてある文字が読み取れないくらい経年劣化していたり、ボロボロに朽ち果てて隅の方に横たわっている木碑もあります。

今でも関西地方にて木碑(墓標)を建てる習慣が残っている地域があるようですが茨城県内では知る限りでは大洗地区以外に木碑を建てる地区は皆無です。

木製のお墓「木碑」とは幅が15センチから24センチほど、中には一般的な墓石と同程度の尺角以上(30センチ)のものまであり、長さ(高さ)が約1.8メートル程度の棒状のお墓で、一般的には正面に俗名○○ ○○之墓や戒名、側面には没年月日や没年齢などが記されており、埋葬(納骨)の際にお墓に建てるものです。

埋葬方法が土葬が主流だった昭和の中ごろ迄は墓所に6尺(約1.8m)土を掘り込み棺を埋葬し、棺を埋め戻すと同時に地表に「土饅頭」と呼ばれる盛土を形成し、そこに「木碑」を建て、墓石を建てるまでの仮のお墓(墓標)を建てる風習がありました。

今も昔も石碑(石材)を建てるには相応の費用が必要でしたので、約2ヶ月後の四十九日法要など亡くなって直ぐに石碑を建てることは容易なことではなく、一定の期間の3回忌や約7年(7回忌)くらいまでには木製のお墓から石材を使用した石碑を建てる事が望ましいとされていました。

一説には木製のお墓は石碑と比べると当然ですが劣化が早く、同じく木製である埋葬した棺も約7年経つと劣化し朽ち果て、その真上に建つ木碑も表面の文字が読み取れなくなり、土中の棺の陥没とともに木碑が建つ「土饅頭」とも呼ばれる盛土も窪み、木碑が傾いたり倒れるケースもあり、木碑から墓石に建て直す目安とも言われました。

なぜ木碑を建てる習慣が減ったのか!?

昭和末期に土葬文化から火葬文化に移ろぎ、お墓の文化も故人専用の墓石から家(一族)の墓石を建立し、火葬した焼骨を納める納骨室(カロート)を設ける仕様が主流になり、墓石以外の墓所敷地に御影石などを使った「外柵」を造るお墓も増え、当時は木碑を建てるスペース(木碑枡)を設け木碑を建てていましたが後に木碑から板木碑(幅は木碑と変わらず厚みが塔婆よりも若干ある木碑厚み)などに代わった地域もありますが、既に一族の墓石がある、故人1人のための個人墓を造らなくなった、棺を埋葬する必要が無くなった事などの理由が重なり、木碑を造らなくなった要因です。

また、火葬文化にほぼ完全にシフトされた今でも仮埋葬(火葬した焼コ骨をポリ容器に入れ墓地に埋葬する)した付近に木碑を建てることがあります。

現在でも朽ち果てた木碑を見ることがありますが土葬時代(木碑建立)の名残り、処分することが忍びない、処分する場所がないなどの理由から文字も読み取れないほど朽ち果てた木碑が今でもお墓の空きスペースに建っていたり横たわっているのです。

古き良き風習!?

人間に限らず家畜や小鳥、小動物など身近な生き物が絶命すると裏山などに運び、穴を掘り、埋葬し土を盛り、その上に石や枝を立て息絶えた者を偲ぶ方法、それこそが「お墓」の起源と考えるのも自然なことです。

現在でも大洗地区のお寺の檀家さんであれば半強制的(決して強制ではないと思います。)に木碑を建てる風習が残っていますが、この先も今や希少になった風習を残し続けるのか見守りたいものです。

今も大洗地区に残る風習(墓石の有無に関わらず建てる木碑)