斜面に開いた無数の穴の正体!

茨城(日立市)から栃木県の日光方面に向かう道中、日光宇都宮道路と連結する日光北道路(まるで高速道路)に入る手前の宇都宮119号(宇都宮環状線)、地名で言うと宇都宮市長岡付近で進行方向右手に山肌に多数の穴が開いた不思議な光景が目に付きます。

とてもインパクトがあるため、いつかは近くで見学したいと前々から思っていましたが、やっとプチ念願が叶い不思議な地形を見学することができました。
その不思議な地形の正体は!!

この無数の穴は長岡百穴(ながおかひゃくあなこふん)と呼ばれ、古墳時代に造成された横穴式のお墓のようです。詳しいことは不明で謎が多いようですが、7世紀(古墳時代~飛鳥時代)の庶民が眠る家族墓と考えられ、この形状のお墓は単体ではなく複数の穴から形成される横穴墓群として各地で発掘されていますので、言うなれば集落の共同墓地的な意味合いがつよいのかも知れません。

凝灰岩をくり貫いて造成されたため、比較的頑丈なため一説には横穴墓(おうけつぼ)の起源とも伝わる九州の遺跡、他にも関西、関東、東北(宮城)など日本各地で造られていた歴史があり、今なお遺跡(古墳群)として県などの指定文化財として保存されています。

国の史跡としても有名な埼玉県の吉見にある吉見百穴(よしみひゃくあな/よしみひゃくけつ)も同時代に造成された横穴墓で、やはり家族単位のお墓ではないかとの論説です。横穴墓によっては入り口にどうやら石の扉を設けた跡も発見されていますので、現在はポッカリ風通しよい横穴ですが、当時は穴の中が丸見えではなかったようです百穴との呼び名は後世のもので、吉見には200以上の穴が確認され、家族×横穴を想像すると比較的大きな集落だったことが推測されます。尚、長岡(栃木)の横穴は52基が確認され、周辺には谷口山古墳、北山古墳群、瓦塚古墳群、戸祭大塚古墳、また水道山瓦窯跡の遺跡などが数多く発掘されていますので、古の文化がこの地に根付いていたことが想像できます。

長岡百穴にはいくつかの伝承があり、その一つには真言宗の開祖である弘法大師空海がこの地に訪れ、一夜にして99もの観音像を各穴に彫り、夜が明けてしまったため已む無く100体目を彫らずしてこの地を去ったというもので、後に地元の民が未完の100体目の観音像を安置したという伝説がです。また、この地には百観音寺という寺院が存在したともされ、単に数が多いたとえの百ではなく、百穴には歴史に基づく史実があるのかも知れません。

いつの日か機会がありましたら、先人の文化と営みにに思いを馳せながら足を運んでみてはいかがでしょうか。(^_-)-☆